Nofukunosato Tawarazu

亥の子

 

旧暦10月(亥の月)の上の(上旬の、すなわち、最初の)亥の日のこと、あるいは、その日に行われる年中行事である。玄猪、亥の子の祝い、亥の子祭りとも。
主に西日本で見られる。行事の内容としては、亥の子餅を作って食べ万病除去・子孫繁栄を祈る、子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回る、などがある。
起源
歴史的には、古代中国で旧暦10月亥の日亥の刻に穀類を混ぜ込んだ餅を食べる風習から、それが日本の宮中行事に取り入れられたという説[1]や、景行天皇が九州の土蜘蛛族を滅ぼした際に、椿の槌で地面を打ったことに由来するという説もある。
この行事は次第に貴族や武士にも広がり、やがて民間の行事としても定着した。農村では丁度刈入れが終わった時期であり、収穫を祝う意味でも行われる。また、地面を搗くのは、田の神を天(あるいは山)に返すためと伝える地方もある。猪の多産にあやかるという面もあり、この日に炬燵開きをすると、火災を逃れるともされた。
九州から中国地方を中心として殊に知られる行事である。明治・大正時代には、関東以北で亥の子に関する行事は知られておらず、江戸・甲州で亥の子餅がみえるのは江戸時代からである。
俵津ではここの所少子化の影響で亥の日に拘らず亥の日に近い休日に行われることが多くなっている。(親の協力)
また亥の子石をつく事も少なくなっている様です。(子供達の人数と土庭の減少)

 

 
 
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