Nofukunosato Tawarazu

 
 

 
俵ランド物語(47)
 

THPを情報の十字路に!

 
 
 温暖化で、しかも暖冬のせいでしょうか、ミカン畑の草の伸びが一季分も早く、もう草刈りをしなくてはならないようになりました。例年なら4月ころから重い腰を上げるのですが。いま、だらけきった体に気合をやっとこさ充填して、草刈り機をぶんぶん回しております。
 
 ところで、このコラム。今年も俵津をめぐるもろもろを綴っていきましょう。よろしくお願いします。
 今回は、この「俵津ホームページ」(THP)についてです。わたしたちはみんな、このかけがえのない私たちの町・俵津を、もっともっとよくしていきたいと願っています。ある時ふっと気づいたのです。そのためにこのTHPは、重要な戦略ツールになるのではないか、と。
 
 ところで、このTHPを見ている人(フォロワー)は、どのくらいいるのでしょうか。製作担当者に聞くと8,000人くらい、との答えが返ってきました。うわーそんなにも!とその時わたしは思いましたが、みなさんはどんな感想をおもちでしょう?
 どんな人が読んでいるのでしょう。
a、俵津に今いる人
b、よそへ出ている俵津出身者
c、とくに東京や大阪の「俵津会」の人たち
d、上記abcの友人や知人・関係者
e、全国の自治体ホームページの研究者
f、なんらかの「検索」で偶然辿り着いた人
g、「俵津スマイル」をライバル視して注目している人
h、その他
わたしの想像ですが、このくらいでしょうか。
 

 
話はぽんと飛びます。この現THPを子細に見ると、さまざまな「仕掛け」(!)があることに気づかされます。至る所に、上記の読者たちの参加(執筆・投稿)を呼びかける優しい“愛の声”というか囁きが聞こえるのです。

  1. 1.このTHPには6つのページ(サイト)がありますが、どのページにも右上に「お問い合わせ」があり、これをクリックすると、「ご意見・コラム・記事・その他何でもお寄せください」とあり、書き込める欄がでてきます。
  2. 2,「コラム・エッセイ・他募集」コーナーがあります。これにも直接の書き込み欄があります。
  3. 3.「フェイスブック」。これにも書き込めるようです。
  4. 4.「ツイッター」。いろいろなつぶやきが聞けたらいいね。
  5. 5.「ブログ」。「つぶみかん」のブログが実際あって読めるし、「ブログを始めよう!」もあるから、これも使えば面白い。
  6. 6.「動画」も投稿できるのかもしれない?
  7. 7.「ゆめさく屋応援PTコメント」欄などもあって、コメントも書き込めるしツイ―トもできるみたいだ。実に気の利いた“いきいき俵津”感あふれるコーナーだ。
  8. 8.さまざまな「リンク」もはれるみたいだ!
  9. 9.「俵津人のご挨拶コーナー」もできるみたい(只今開設準備中とある)。
  10. 10.これもオープン準備中とあるが、「コンシェルジュ・コーディネート」欄も出来るらしい。「探しもの(よろず相談)」「住まい情報(生活全般相談)」「農地・農機具他農業全般(俵津で蜜柑作りしたい方・蜜柑の木オーナー等何でも相談して下さい)」「俵津便利サービス(草刈りを含む空き家管理・お墓掃除等何でも相談して下さい)」
  11. 11.『俵津地区災害対策室』専用口座などもあって、お金まで振り込める!

 
 何という素晴らしい“はりめぐらし”であろうか!!何という素晴らしい“構想力”であろうか!これを、始めに挙げたフォロワーのみんながやる気を出して(これが大事!)、ドンドン投稿すれば、俵津はスゴイことになる!。求心力が生まれる!まちづくりの渦巻きに中心(目)ができる!結束力ができる!絆が誕生する!互いに刺激しあえるので新しい知が発生する!そして、究極、知恵と力のある新しい“俵津人”が誕生するだろう!!
 8,000人が上記1~11のどこかに何らかのかたちで“参加”すれば、本当に、ものすごくワクワクするTHPが、立ち上がるだろうな!!THPは、全国に例のない、ユニークなものとなるだろう。そう思います。
 

 
 数年前のことですが、はじめてこのTHPに接した東京の友人から、こんなメールが届いておりました!
 「俵津ホームページ、早速見させていただきました。トップページから凝っていますね。私が○○事務所で、ホームページを作っていた時は、こんな素晴らしいデザインで作ることは出来ませんでした。」(!)
 
 THPに対する、わたしの期待・希望・夢・イメージ等を書いておきます。
① このTHPには次の6つのページがありますが、これらが8,000人のフォロワーの参加を得て、さらに充実することを期待しています。
   1、俵津のこと
   2、まいこんだ通信・産業(新着情報)(みかん・真珠)
   3、活動・行事
   4、文化・伝統
   5、野福の里(ロケーション)
   6、コラム・リンク・おまけ
② とにかく、何を書いてもいいことにしましょう。公序良俗に反することとか、ヘイトスピーチなどはもちろんいけませんが、それ以外は、ジャンル・内容・分量・形式等全くの自由にしましょう。(そして、みんなして、表現者の表現の自由と基本的人権を何としても守る、という強い姿勢を貫きましょう。それをこのTHPの誇りある理念にしましょう。表現者に与える安心感というのはとても大事です)。
③ 例えばですが、誰かが「こんなテーマで、みなさんの意見を聞かせてください!」と呼び掛けて、「紙上井戸端会議」をやるというのはいかがでしょう!そうですね、たとえば今「塩風呂」が客が少なくて赤字です(株式会社シーサイドサンパーク自体が赤字体質ですが)。これをどうしたら客が押し掛けるようになるか勝手連としてアイデアを競うのです。考えれば、他にも「テーマ」は、この俵津に、満ち満ちているように思います。
④   わたしは、このTHPに連載されているエッセイで「私の映画案内」というのを毎回楽しみにしておりますが(教養を広げてくれますね。人間や人生や世界を見る目を養ってくれますね。ただちょっとだけ上から目線が気になりますが。)、俵津出身の大学の先生などが、他のテーマで、さまざま「エッセイ」を連載していただくと、さらに読者が増えるのではないかと夢見ております。
⑤  ふるさと俵津に熱い思いを抱き続けておられる東京や大阪の「俵津会」の人たちが、「俵津、こうしたらどうぞ?こんな情報もあるぞ」と、まちづくりのアイデアや情報を寄せていただいたら、とても嬉しく思います。
⑥  「トッポ話」をする人が俵津から消えてしまいました。奇想天外、荒唐無稽、大言壮語、「よもしれん」面白い話をする人です。南予のトッポ話と言って、作家の獅子文六さんの小説『てんやわんや』なんかにも出てくるあれです。「とぼさく言うな」といって叱られるあれです。でも、あれ、面白いですよねえ。あれ、だれかここで復活させてもらえませんかねえ。
⑦ 「物言えば唇寒し(秋の風)」なんて、いやですよね。「こんなこと言って(書いて)いいんやろか」「これ笑われらへんやろか」「これ怒られらへんやろか」「これ没になるんやなかろか」、いろいろ気になりますよね。また、「こんなこと言ったら、おまえ、責任取ってやれ!なんて言われんやろか?」、気が重くなりますよね。
    それらの重石を取っ払う、そのことがとても大事だと思います。言いたいだけ言わなきゃ、書きたいだけ書かなきゃ、俵津は始まりません。「知行合一」なんてくそくらえです(すみません、品のない言い方になりました)。KJ(川喜田二郎)法じゃないですが、とにかく気軽に言いたいこと言おうじゃありませんか。書きたいこと書こうじゃありませんか。(こんなこと書くとかえってその気になれなくなるかも)。
⑧  THPを「座」にしませんか。日本には、「座の文化」というものがあります。人々が寄り集まって、情報を交換し、そこから共同で文化を生み出していくというものです(一座建立というそうです)。「連歌」なんかがそうです。「寄合」が大切です。そこから「つながりの文化」が生まれました。連歌の能力はもうわたしたちにはありませんが、THPを「座」としてさまざまの「つながり」をここでつけるのです。(抽象的な言い方でよくわからないかもしれませんが、「インスピレーション」を感じてください?
⑨   俳句・短歌・川柳・小説・詩・写真・絵(これはさすがに写真にとって投稿してもらわないといけませんが)などなどもほしいですね。
⑩   手紙や葉書を書く人が激減しております。でも、ネットの世界は花盛りです。今ほど人々がものを書く、表現する時代はかってなかったのでは。若い人が、SNSを使うように、このTHPに書いてくれたら、エキサイティングな俵津になるでしょうね!
⑪  わたしは、「俵津公民館だより」の愛読者ですが、その片隅にでも、このTHPのURLを載せて案内していただければ、もっとフォロワーは増えるんじゃないでしょうか!!
 
 THPを情報の十字路に!この四つ辻に来れば、役立つか役立たないかは分からないが、沢山の面白い情報がある!面白い人たちに出会える!そして、「オモシロイタワラヅ」が始まる!俵津が動き出す!➡

 
(2019/1/31 自由庵憧鶏)

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
俵ランド物語(46)
 
雑感(回顧)・ 2018

 
 
 今日で今年も終わり。年を取るごとに一年がギアアップしていく。静かに、今年を振り返って、思いを綴っていきたい。
 
1  年が明けて間もない頃だった。今年もまた百姓仲間が亡くなった。中村公彦くん(享年60歳)。そのあまりに早い死を悼む。
公彦くんは伝説の持ち主だった。宇和島東高校在学中の早い時期に「こんな幼稚な授業なら、家で一人でやれる」と言い放って、自ら退学し、俵津で百姓になることを決めたというのだ。後でその話を聞いた時、わたしは思ったものだった。「もったいないなあ。そんなアタマをもっているなら、もっと青春モラトリアムを楽しめばいいのに。恋をするとか、クラブ活動に没頭するとか、高校の図書室や市立図書館で万巻の書を読むとか、有名な宇和島の物理学者の清家さんに会うとか・・・」。
公彦くんとはあまり会う機会がなかったが、野良で一度話をしたことがあった。ちょうどイギリスの世界的に有名な宇宙物理学者・スティーヴン・ホーキング博士の本(『ホーキング、宇宙を語る』)が出たころだった。ミーハーのわたしはそのベストセラーを、分りもしないのに無謀にも買って読んでいたところだった(これがまことにチンプンカンプン)。公彦くんにその話を振ると、「あああれ、確かに難しいです。でも、こういう事じゃないでしょうか!」と言って解説してくれた。それがまたわたしにはチンプンカンプンXYZエクスキューズミー、なんじゃそれ?!。それでも、1時間ほどだったか、草の上に座っての宇宙談義は楽しかった。ああ頭がいいってことは素晴らしいな、この才能、なにか俵津のために役立てないかな、と思ったものだった。そしてその時彼は言っていた、「ぼくは、ミステリー(推理小説)を書きたいと思っているのです」。おおスゴイ、ぜひぜひ、やれ、と私は言ったのだった。彼の遺し物の中にそれはなかっただろうか?。
心から冥福を祈る。
 
2  「長崎東海・顕彰事業」は、新しい段階を迎えている。昨年は、明浜小学校の校庭に顕彰碑を建立したが、今年からは氏を深く理解する〝研究〟の方向へと進んでいる。三月に高知市の長崎久恵さんのお宅にお伺いし、その膨大な日誌をお借りして来てからは、〝解読作業〟が中心になっている。それは久恵氏が取り組んでおられたことだが、それを分担して行うということだ。山下俵津スマイル会長を中心に、西予市役所職員の協力もあって滑り出しは上々。
 ゆくゆくは詳細な「年譜」を作り、それをもとに「小伝」のようなものを冊子化して、小中学生の副読本を作りたいと言う。この事業は俵津人の誇りをも取り戻すことにもつながっていくことだろう。楽しみだ。
 
3  今年はなんといっても「7月豪雨」。爪痕は今も消えずにあちこちで残っている。中学校裏の山崩れの土砂はいまも取り除かれていない。畑岡農道などは今だに通れない。不便なことこの上もない。
この災害はおそらく俵津の歴史上最大のものだろう。少子高齢化の時代にあっても今回はなんとかしのぐことが出来そうだ。けれどもしかし、次、(マスコミがかまびすしく言っている)30年以内に起こるという南海トラフ巨大地震にはどうか?その時わが俵津は耐えられるか。復旧・復興できる体力があるか。考えれば空恐ろしくなる。
悪い事ばかりではなかった。11月には大勢のボランティアの方が援農(ミカン摘み)に来てくださった。受け皿となったスマイルが、俵津こせがれ会の9農家に集中的に振り向けていただいた。我が家にも来ていただいた。ありがたかった。
 
4  被害にあった農協マーケットが閉店になったのは、俵津にとっても大きな痛手だったが、それに伴うあたらしい動きがあったことも記録しておかなくてはならないだろう。宇都宮末夫商店・中井鮮魚の果敢な取り組みには心から敬意を表したい。特筆すべきは、ゆめさく屋(宇都宮由美子代表)の活躍だろう。志を訴えクラウドファンディングで資金を調達し(国内外から226万円が集まったという)、数年前から委託されている農協の旧総菜センターを改造・改装(リニューアル)し、生活商品を並べた。また今回、農協から委託されて、〝東くん〟と名ずけられた軽トラの移動販売車で、農協店舗のない東宇和郡内3地区を回る活動もはじめた。その大きな地域貢献に拍手を送りたい。同店の活躍は、12月25日の朝日新聞愛媛版に写真入りで大きく取り上げられた。
 
5  9月20日、自民党総裁選が行われ、安倍晋三首相が三選を果たした。対抗馬の石破茂氏に、地方党員票の45パーセントが行ったということに、わたしは、「地方」の〝悲鳴〟を聞いた。
 
6  9月26日、日米首脳会議で両首脳は、二国間による新たな貿易協議TAG(Trade Agreement on Goods 物品貿易協定)の締結へ向けた交渉を始めることで合意した。日本政府はこれはFTA(自由貿易協定)ではないと言っているが、誰が見てもまぎれもなくFTAだろう。これによって、農業分野では、TTP以上の譲歩がされるようになることだろう。(これについてはこのコラムの34回を見ていただきたい)。
 
7  12月30日、そのTPP(環太平洋連携協定)が発効した。米国が離脱したが、11カ国、域内人口約5億人、世界全体のGDP(国内総生産)の13パーセント(約10兆ドル)を占める巨大自由貿易圏が誕生したのだという。上記のTAGと合わせて、これからわたしたちは、「ボディブローのように」「真綿で首を締められるように」(経験した事がないからどのような塩梅のことなのかわからないが)、じわりじわりと影響を身に染みて感じるようになるだろう。
 
8  9月25日。四国電力伊方原子力発電所3号機の運転差し止めを命じた2017年12月の仮処分決定を巡り、広島高裁(三木昌之裁判長は、)は、四国電力の異議申し立てを認め、再稼働を容認する決定をした。同28日には大分地裁でも同様の決定がなされた。残念である。
 
9  11月。待望の無茶々園の本が出た。『大地と共に心を耕せ―地域協同組合無茶々園の挑戦』(農山村漁村文化協会)。わたしたちの40年の歩みが(過不足なくきっちりと)まとめられた。作って下さったのは、株式会社愛媛地域総合研究所の村田武先生と中安章先生だ。大学の先生というのは、今更ながら凄いものだなあと思う。これは、わたしたち俵津のまちづくりに取り組む者にとっても、参考になる本だと思う。ぜひ購入して読んでいただきたいと思う(1600円+税です)。
 この本には、俵津についてもこのような記述があって勉強になる。抜き書きしておく。
「1880(明治13)年代には養蚕がここにも入り、明治後期には養蚕組合がつくられ、1925(大正14)年には俵津製糸株式会社が設立された。最盛期には従業員450人という四国最大の製糸工場だった」
(スゴイね俵津、やるね俵津人!)
 
10  もう一つ本の話。わたしは本が大好きだ(あまり読めていないけど)。わたしの今年イチオシの本は、見田宗介『現代社会はどこに向かうか―高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書)。この本には、人を幸せにする言葉が溢れんばかりにちりばめられている。特に、18ぺージにもわたって掲載されている、自分を「非常に幸福」と感じているフランスの青年たちの言葉などは全文紹介したいくらいだ。ここには、しかし、著者の次のいくつかの言葉だけを紹介するにとどめよう。
◯ ダニエル・エヴェレット『ピダハン』は、一九七七年から二〇〇六年まで三〇年近くの間、宣教師/言語学者として、アマゾンの小さな部族ピダハンの人たちと一緒に生活した記録である。(中略)この本が現代人をおどろかせるのは、長年の布教の試みの末に、宣教師自身の方がキリスト教から離脱してしまうということである。ピーダーハーンの「精神生活はとても充実していて、幸福で満ち足りた生活を送っていることを見れば、彼らの価値観が非常にすぐれていることの一つの例証足りうるだろう。」「魚をとること。カヌーを漕ぐこと。子どもたちと笑い合うこと。兄弟を愛すること。」
 このような<現在>の一つひとつを楽しんで笑い興じているので、「天国」への期待も「神」による救済の約束も少しも必要としないのである。
 
◯ 奇跡のように恵まれた小さい、そして大きい惑星の環境容量の中で幸福に生きる仕方を見出さないなら、人間は永久に不幸であるほかないだろう。
 
◯ もちろん社会には幸福のために必要な基本的な物質条件をすでに十分に確保しながら、その上になお、何億でも何十億でも金もうけをしてみたいという人はいる。
 けれどもそういう人は、ある種の趣味の悪い人として、みんなからけいべつされるだけというふうに、時代の空気の潮目は変わろうとしている。
 
◯ (来るべき新しい社会にあっては)経済競争の強迫から解放された人間は、アートと文学と学術の限りなく自由な展開を楽しむだろう。歌とデザインとスポーツと冒険とゲームとを楽しむだろう。知らない世界やよく知っている世界への旅を楽しむだろう。友情を楽しむだろう。恋愛と再生産の日々新鮮な感動を享受するだろう。子どもたちとの交歓を楽しむだろう。動物たちや植物たちとの交感を楽しむだろう。太陽や風や海との交感を楽しむだろう。
 ここに展望した多彩で豊饒な幸福はすべて、どんな大規模な資源の搾取も、どんな大規模な地球環境の汚染も破壊も必要としないものである。つまり、永続する幸福である。
 転回の基軸となるのは、幸福感受性の奪還である。再生である。感性と欲望の開放である。存在するものの輝きと、存在することの祝福に対する感動能力の開放である。
 
来年が、いい年でありますように・・・祈りつつ   
 
(2018/12/31 自由庵憧鶏)

 
 
 
 
 
 
 
 
俵ランド物語(45)
 
農協が、大変だあ!(3)

 
 
 農協マーケットの解体工事が終わっている。きれいなサラ地になっている。近々始まるだろう県道宇和線の拡張工事を待つばかりの、ひっそりとした空間が現れている。俵津の心臓部に空いた大きな穴のような白々たる土地。その代替地であった海岸通りの空き地も雑草が枯れ寒々しい。俵津の唯一の街らしい建物である明浜本所のビル(!)も、大勢の職員が出入りしていた頃の発散熱が消えて、どこかみすぼらしくさえなっている。
 

 
そうだねえ。俵津の場合、問題なのは、マーケットの建物(自体)がなくなった、ということだ。他の地区、狩江でも、高山でも、宮の浦でも、田之浜でも、農協が営業していた頃の店舗の建物がそのまま残っていて使えるから、それぞれの地区の有志が受託して店が保たれている(高山では、大手コンビニチェーンの「山崎」はすでに撤退している)。俵津ではそれができないから困るのだ、ということだよね。
 

 
 さて、この稿も三回目。そろそろひと区切りをつけないと。そこで、「さて農協、どうする?!」という話なのだが、それは東宇和農協の幹部の人たちの仕事だ。ここではわたしは、俵津の、農協を愛してやまない人たちの熱い思いだけを伝えることに徹しよう。
 同級生にこんなのがおった。(3月26日の「地区説明会」だったか、6月4日の「地区座談会」だったか)、農協幹部のひとたちに向かって、彼は言ったそうな。「マーケットに関しては、県から、立ち退き料・解体費・新店舗建設補助費などをもらっているはずだ。それなのになぜ新店舗をつくらないのか。店舗がなくなれば、すでに限界集落化している俵津に、買い物難民が発生するのは目に見えているではないか。
また、金融にしても、今明浜町内の人の流れは西から東への俵津そして宇和に向かっている。その人の流れに逆行するような高山地区へどうしてもっていくのか。
それから、農家の共選離れが激しくなっているが、どうして農協はそれをくい止める策を講じようとしないのか。共選がみかんを高く売れば、農家は必ずもどってくる。やがてみんな年取ったら、自分では宇和島や八幡浜の市場へは、よおもっていけんようになるのだから、そのときのためにも、いま農協は頑張るべきではないか。共選を存続させておくべきではないか」。云々
ウーム。よくぞ言ったねえ。で、反応はどうだった?「どうもこうもあるかい。シュンとして押し黙るばかりで、ろくな返答はなかったぞ。」
 
こんなことを言う組合員もいる。「やはり農協職員が、日常活動として、農家や準組合員の家を丁寧に回って、みんなの要望を聞いたり、農協の役割を説明したりしていくことを地道にやって行くべきではないか。そうして組合員の信頼を勝ち取っていく中でしか、農協の商品やサービスを買ってもらえないのではないか。これだけ競争の激しい時代、農協はもう一度原点に返ってやり直すべきや。」
 
こんな発言も。「共選。みかんの荷が集まらないので、作業員の仕事は午前中に終わってしまって、午後からの仕事はないと嘆いているが、午後からは、たとえば農家のみかん取りの手伝いに行くとかしたらどうだろう。そうやって工夫していくことで安定的な職場になっていくし、農家の信頼も得ることが出来るし、〝みんなの共選〟という意識も生まれてくるのではないか。」
 
また。「マーケットの運営も、利益が少ない、赤字体質だというのなら、営業時間を伸ばすとか、日曜・祝日も営業するとか、ふつうの企業が普通にやっていることをしたらどうだったのだろう。むかしの組合員は積極的で、農協婦人部や青果部・同志会の役員も、職員の代わりに店頭に立つぞ、とよく言っていたものだった。」
 
さらに、こんなことを、わたしに話してくれる人もいる。「南予用水スプリンクラー防除組合のあるブロックが、農薬を、民間のある業者から農協より安く購入したことがあった。その時、農協は激怒した。そしてその業者とも取引していた農協は、その業者に対しても、取引をやめるぞと脅した。こんなことは、おかしいのではないか。それなら、努力して、防除組合に、さらに安く農薬を提供できるようにすべきではないか。何といっても防除組合は最大の顧客なのだから。農協は基本的に考え方が、間違っている。」
 
わたしが直接耳にしたのは今の所このくらい。これからも粘り強くいろんな人の声を聴いていきたい。(どうか、この文章を目にした方、わたしに意見を聞かせてください。)
 

 
 ここで突然話は変わるが、東京で就活(就職活動)をしている大学生のみなさん。まだ就職先が決まっていない方がおられましたら、「東宇和農協」をアタックしてみたらどうでしょうか!あなたがあなたの思いを熱く語れば、農協はきっと応えてくれると思いますよ。昔、それももう50年近くも前のことになるが、わたしの俵津の同級生に凄いのがおりました。彼は大学4回生の時、宇和青果農協にのりこんで(!)、当時の松尾武美組合長に「俺をここに雇え!」と直談判したのだ。もちろん、即採用でした。
 激化の一途をたどる競争社会でブラック企業化する会社、経済成長に限界が見えてもなお路線を変えない視野狭く余裕のない索漠たる社会、世界のグローバル化に疲れ切っている世界の民衆、もうちょっとそんな人と社会から足を洗いませんか。働いても働いても報われず、待っているのは過労死だけ・・・。
 「地方」は、あなたの学問が活かせる場所です。経済学・経営学・商学・社会学・政治学・農学・・理系の学問も、きっと役立ちます。ここで、思う存分、働いてみませんか。
(もちろん、わたしのこのコラムなどにたどり着く人など皆無でしょうが、一応書いておきますぞ)
 

 
 また、戻ります。どうでしょう!東宇和農協さん!俵津のあの浜通りの代替地にコンビニ的マーケット、建てませんか。東宇和農協の総力を挙げて、「実験店」として、黒字化を目指してあらゆるノウハウを投入するんです。必要なら、行政機関・大学・企業・研究所等あらゆる所の知恵と力を借りればいい。
 たんぽぽ診療所の永井先生は、田之浜から白浦までをエリア化することで赤字の俵津診療所を見事に黒字化しました。要するに「ひと」です。「ちえ」です。「構想力」です。「熱意」です。そこから、無茶々園が、連携・連帯を求めて介護施設を建設し、俵津はいま大きな福祉村として立ち上がっております。福祉村には生活店舗は必要不可欠の条件です。
 俵津を、買い物難民のいる町にしない、消滅する運命の町にしない、農協はそれを実現する志ある組織体にするのだ、という覚悟があればできます。きっと。   幸い、「地区座談会」資料によると、信用事業も、共済事業もまだ黒字をつづけているようですので、いまなら、できるとおもいます。きっと。
 

 
 思い出すなあ。むかし、今の東宇和農協の組合長のお父さんが、明浜農協の組合長だったころ、よく言ってた言葉を。「農協を守るため、農協全利用を!」。誰もが、言ってる当人さえもが、それは実現できない幻想にすぎないと分っていても、言わざるをえなかった言葉。
 

 
 「協同組合」(や労働組合)の時代が来ている。と、わたしは思う。先年、アメリカはニューヨーク、ウオールストリートで起きた「オキュパイ運動」を見ればわかるように、1パーセントの人たちが世界の富を奪いつくす世の中。残り99パーセントがそうでない「われわれ」になっていく世の中。そうして、人権も文化も民主主義も環境も破壊尽くすグローバル化社会。それに抵抗できるのは相互支援・相互扶助の営利事業でない「協同組合」的な組織体しかない、と思う。時代を産業革命期のイギリスのようにしてはいけない。ロマンチックな「霧のロンドン」は、大気汚染されたスモッグの充満する、過酷な労働で過労死や肺病患者が充満する死の街だった。そんな時代への大きな逆戻りは、もういい。
 この国をまともな国にしていけるのも、協同組合がよく機能してこそ、だと思う。
 

 
 この国に、「農業」はいらない。「農民」もいらない。「農協」もいらない。「地方」もいらない。   
前回取り上げた三橋貴明氏の著書(『亡国の農協改革』)を正しく読めば、国(政府)はそう言っていることになる。わたしたちは、そういう政府を、そういう自公政権を、戦後ずっと支持し続けてきたことになる。2020年の農協法見直し改正では、ほとんど必ずと言っていい農協解体的文言が盛られるだろう。農協法・農業委員会法・農地法は、憲法と共に重要なこの国の基本的・根幹的成り立ちを構成するものだ。それが、このように熟議もなしにいとも簡単に変えられていいはずがない。「東京オリンピック」などに浮かれている暇はないのではないか。
 
わたしたちに、残された「手」はあるか。ある!一つだけ、ある!それは、来年7月の「参議院議員選挙」で、自公の議員に一切投票しないことだ。そうして、「ねじれ」を作り出すことだ。「ねじれ」は、悪い事ではない。「国会」を正常に機能させ、民主主義を守るためにはそれが必要だ。国家の根幹を左右する法案の審議は「熟議」が必要。それを実現させるのは、「ねじれ」をつくることだ。それしかない。
このままでは、夏目漱石の「三四郎」で広田先生が言ったように、日本が滅びる。73年前のように、再び、ほろびる。73年前には、日本人が再起する「山河」があった。「農村」があった。だが、今度は、それがない。それがなくされている。
安倍首相は、自分の任期中に(四選・五選の話もあるが)、一気呵成に自分のやりたいことの全て(「戦後レジームからの脱却」)をやろうとしている。それで、最後の賭け、衆参同日選挙を目論んでいるというマスコミ報道もかまびすしい。だったら、それでもいい。チャンスだ。同時に変えればいい。地方自治体(都道府県や市町村)の自公議員諸氏も今度は、覚悟を決めるべきではないか。
と言っても、わたしたちは、2009年の政権交代で、3年間、「民主党」のどうしようもない体たらくを見てしまっている。それでもなお、国民に寄り添う新しい政権党をつくることは、わたしたちの「課題」から消えてはいない。
本当に、今度が、わたしたちの最後のチャンスだ、とわたしは思う。
 
この稿は、今回で一応おわります。わたしに、新しい・目の覚めるような意見を開陳してくれる人が出たら、又その時、書きます。報告します。
 
 
(2018/11/30 自由庵憧鶏)

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